2012年09月20日(木曜)
僕と東京スカイツリー。休みに浅草に行った際撮影しました。facebookで公開したところ比較的評判が良かったのでブログにも載せてみました。いかがでしょう!?
( デジカメの調子が悪くて色がちょっと変になりましたがアングルが気に入ってま〜す!)
( デジカメの調子が悪くて色がちょっと変になりましたがアングルが気に入ってま〜す!)
2012年09月17日(月曜)
大阪市立美術館で開催している「紅型 琉球王朝のいろとかたち(沖縄復帰40周年記念)」という企画展にお邪魔した。訪問日が9月16日(日曜)。時間は14時すぎ。「なんでこんなに暑いねん!」とボヤきながら天王寺公園に到着した。券売機で1,300円のチケット(当日券)を買っていざ美術館へ。入館。チケットを見せて先に進もうとすると受付の女性が目を輝かせて僕に立ち止まるよう促した。「なに?」「僕なにかしました?」と考えを巡らせていると、「着物で来場された方にはキャッシュバックがあるんですよ!」と言って僕に100円玉を握らせてくれた。怒られるのかと身構えていたところ逆にお金を貰えたので喜び倍増。すごく得したような心境となる。ルンルン気分で2階へと駆け上がり、(イヤホンガイドのヘッドホンを装着し)いよいよ鑑賞タイムの開始である。まず紅型と書いて「びんがた」と読みます。「紅」とあるので赤い着物だけかと連想されるかも知れませんが、そうではなく鮮やかな色の総称としての「紅」である。紅型とは琉球王朝の庇護のもとに発展してきた染色法であるが、明治時代の廃藩置県の影響で王朝が崩壊。後ろ盾を失った紅型の生産者は次第に衰退してゆき、第二次世界大戦により大打撃を受けてしまう。この展示会でディスプレーされている一級品の作品の大半は第二次世界大戦以前に本土に渡っているものとのこと。「黄色地鳳凰蝙蝠宝尽くし青海立波模様衣裳」(画像に写っている看板の黄色い着物)など国宝に指定されている作品も多く、それらは古紅型の研究や現在紅型の生産に従事する人たちの貴重な資料となっている。着物は型染め、風呂敷などは筒描き染め(筒から絞り出したのりで防染し、フリーハンドで彩色して模様を出す)で、着物の展示には横に型紙を置いてみたりと観る者を飽きさせない工夫も随所に見られた。紅型に関する映像(生産工程について等)のコーナーもあり充実した内容である。このイベントは前期、中期、後期と期間が3つに分けられている。通期展示の着物もあるが前期だけ展示の着物もある。そのあたりも踏まえて駆け付けていただきたい。興味のある方は是非どうぞ。(下の画像は思い出に買い求めた手拭い2点。1つはシーサー柄。もう1つは三線の弾き方を描いたおもしろ手拭い!)
2012年09月15日(土曜)
先日お世話になっている藤井絞さんのはからいで絞りの職人さんのご自宅にお邪魔した。その職人さんが得意とする技のひとつが桶絞り(おけしぼり)。今回はこの桶絞りを簡単にご紹介します。( 画像は赤い桶ですが、本来は着物の地色に似た色の桶を使用します。)
(1)赤い筒状のものが桶絞り専用の桶です。桶の素材は檜(ひのき)です。
(2)染める部分を桶の外に出し、染めない部分は桶の中に入れます。
(3)生地がずれないように、桶の周囲を専用の針(今はステンレス)でとめてゆきます。
(4)あとで蓋をするのですが、隙間ができないように紙をはさんだりします。
(5)蓋をします。当然底も。密封状態。
(6)桶の上下に棒を1本ずつおき、それぞれの端(上の棒の左端と下の棒の左端を。上の棒の右端と下の棒の右端を)ロープでしっかり縛り完全密封状態にします。
(7)この桶を染め屋さんに持っていきます。
画像はここまでですが、染め屋さんでは約70〜80度のお湯や染料が入った釜にその桶を入れます。職人さんは当然手袋をして扱いますが、あまりにも熱いので手袋の中に冷たい水を入れる等工夫し耐えながら桶から出ている部分を染めてゆきます。まさに「熱さとの格闘」です。
このように職人さんの大変な労力に支えられ、「桶絞り」というひとつの工程は完成します。本当に素晴らしい技です。しかしながら、この「桶絞り」に今大問題が発生し絞りに携わっている人々を困らせています。なにかと申しますと、桶絞りの桶をつくる職人さんがいなくなったのです。この完全密封できる桶というものは出来そうでそうそう出来るものではなく、かといって代替品も見つかっていないというあり様。そこで最後の画像をご覧ください。今活躍している桶絞りの職人さんは廃業した桶絞りの職人さんから古い桶を譲ってもらったりし、将来に備えストックしておられます。改めて同じ画像をご覧ください。少し短い桶があることにお気付きでしょうか。鉛筆を短くなっても使い続けるように、桶が傷んできたらその部分を取り除き、桶の口を削って滑らかにして使い続けています。桶が生産されていないので仕方が無いのですが、どのような状況下であっても懸命に自分の役割を果たそうとする職人さん。本当に頭が下がります。今回の訪問(勉強会)もそういう感想を抱かずにはおれませんでした。(おしまい)
※ 別の着物になりますが、桶絞りの着物(完成品)の画像は後日アップします。
(1)赤い筒状のものが桶絞り専用の桶です。桶の素材は檜(ひのき)です。
(2)染める部分を桶の外に出し、染めない部分は桶の中に入れます。
(3)生地がずれないように、桶の周囲を専用の針(今はステンレス)でとめてゆきます。
(4)あとで蓋をするのですが、隙間ができないように紙をはさんだりします。
(5)蓋をします。当然底も。密封状態。
(6)桶の上下に棒を1本ずつおき、それぞれの端(上の棒の左端と下の棒の左端を。上の棒の右端と下の棒の右端を)ロープでしっかり縛り完全密封状態にします。
(7)この桶を染め屋さんに持っていきます。
画像はここまでですが、染め屋さんでは約70〜80度のお湯や染料が入った釜にその桶を入れます。職人さんは当然手袋をして扱いますが、あまりにも熱いので手袋の中に冷たい水を入れる等工夫し耐えながら桶から出ている部分を染めてゆきます。まさに「熱さとの格闘」です。
このように職人さんの大変な労力に支えられ、「桶絞り」というひとつの工程は完成します。本当に素晴らしい技です。しかしながら、この「桶絞り」に今大問題が発生し絞りに携わっている人々を困らせています。なにかと申しますと、桶絞りの桶をつくる職人さんがいなくなったのです。この完全密封できる桶というものは出来そうでそうそう出来るものではなく、かといって代替品も見つかっていないというあり様。そこで最後の画像をご覧ください。今活躍している桶絞りの職人さんは廃業した桶絞りの職人さんから古い桶を譲ってもらったりし、将来に備えストックしておられます。改めて同じ画像をご覧ください。少し短い桶があることにお気付きでしょうか。鉛筆を短くなっても使い続けるように、桶が傷んできたらその部分を取り除き、桶の口を削って滑らかにして使い続けています。桶が生産されていないので仕方が無いのですが、どのような状況下であっても懸命に自分の役割を果たそうとする職人さん。本当に頭が下がります。今回の訪問(勉強会)もそういう感想を抱かずにはおれませんでした。(おしまい)
※ 別の着物になりますが、桶絞りの着物(完成品)の画像は後日アップします。
2012年09月13日(木曜)
日本舞踊を教わっている花柳旭叟(きょくそう)先生が10月6日(土曜)神戸国際会館こくさいホールで開催される「第61回 ひょうご名流舞踊の会」に出演されます。先生が踊る演目は「長唄 伊勢参宮」。料金は(旭叟先生をはじめ有名な舞踊家の方々も出演されるので)5,000円となっております。旭叟先生の舞踊はとても素晴らしく、一人でも多くの方々にご覧いただきたいというのが私どもの願い。同門の作田まおりちゃんも(旭叟先生と違う演目で)出演しますので、興味のある方一度足をお運びください。宜しくお願い致します。
( 詳細については画像を見つめて読み取ってください!)
( 詳細については画像を見つめて読み取ってください!)
2012年09月12日(水曜)
「定席(じょうせき)」という言葉で検索してみると社団法人落語協会(東京)のホームページが出てきた。そこには次のように書いてありました。
『 寄席は大きく分けて、二つに分けられます。広く一般的な意味での「寄席」と、狭い意味での「寄席」すなわち「定席(じょうせき)」の二種類です。まずは狭義の寄席である「定席」からご説明しましょう。鈴本演芸場(上野)、末廣亭(新宿)、浅草演芸ホール、池袋演芸場、この4軒を「定席」と呼びます。国立演芸場でも「定席公演」と銘打って興行する場合がありますが、形態が若干違いますので、厳密には定席に数えません。上記の4軒は、文字通り年末の数日を除き、ほぼ年中無休で毎日、興行を行なっています。』
大阪にもようやく天満天神繁昌亭という落語の定席が出来ました(2006年9月15日)。東京には昔から定席があるってことは知っていましたが、実際伺ったことがなく、そこで夏休みを利用し東京の定席全てを制覇することにしました(「ヒマなんかー」と自分につっこむ!)。浅草演芸ホールには行ったことがあるので、残りは国立演芸場も含めて4軒。結果を申しますと 8/15は末廣亭、8/16は鈴本演芸場と池袋演芸場、8/17は国立演芸場で落語や演芸を鑑賞し目標を達成しました。どれも個性的な興行で大満足!簡単な感想は次の通りです。
◇末廣亭
昼の部12:00〜16:30。夜の部17:00〜21:00。大人は2,800円(割引制度もあります)。この料金を支払えば、「昼夜入れ替えなし」なので昼12時から夜9時までたっぷり笑わせてもらえます。だからお得感めちゃくちゃある定席だと言えるでしょう。舞台上には欄間(らんま)、下手側面には掛け軸が飾られていて、客席の一部は畳敷き(中央は椅子席。その左右が一段高くなっての畳)という風情のある佇まいにも驚きました。
(下の画像は芸人さんによるハワイアン演奏。撮影許可が出たので撮影しました)
◇鈴本演芸場
夜の部「さん喬・権太楼特選集」を鑑賞。こちらは大人気の為前売り券が完売していて、仕方がないので午前11時頃から約2時間当日券を求めて行列に並びました。権太楼師匠が枝雀師匠の「幽霊の辻」を熱演され、懐かしさがこみ上げてきました。
◇池袋演芸場
染工場を見学した後に立ち寄ってみました。時間がなく鑑賞できず(涙)。仕方がないので正面玄関のみ撮影してきました。
◇国立演芸場
笑点でおなじみ桂歌丸師匠がトリでご出演。演目は「お累の自害」。ストーリーは正直言ってよくわからなかったけど、師匠の年齢を感じさせない若々しい芸に触れとても感動した。
(お隣が最高裁判所だけに、落語や演芸の内容も最高でした!!)
『 寄席は大きく分けて、二つに分けられます。広く一般的な意味での「寄席」と、狭い意味での「寄席」すなわち「定席(じょうせき)」の二種類です。まずは狭義の寄席である「定席」からご説明しましょう。鈴本演芸場(上野)、末廣亭(新宿)、浅草演芸ホール、池袋演芸場、この4軒を「定席」と呼びます。国立演芸場でも「定席公演」と銘打って興行する場合がありますが、形態が若干違いますので、厳密には定席に数えません。上記の4軒は、文字通り年末の数日を除き、ほぼ年中無休で毎日、興行を行なっています。』
大阪にもようやく天満天神繁昌亭という落語の定席が出来ました(2006年9月15日)。東京には昔から定席があるってことは知っていましたが、実際伺ったことがなく、そこで夏休みを利用し東京の定席全てを制覇することにしました(「ヒマなんかー」と自分につっこむ!)。浅草演芸ホールには行ったことがあるので、残りは国立演芸場も含めて4軒。結果を申しますと 8/15は末廣亭、8/16は鈴本演芸場と池袋演芸場、8/17は国立演芸場で落語や演芸を鑑賞し目標を達成しました。どれも個性的な興行で大満足!簡単な感想は次の通りです。
◇末廣亭
昼の部12:00〜16:30。夜の部17:00〜21:00。大人は2,800円(割引制度もあります)。この料金を支払えば、「昼夜入れ替えなし」なので昼12時から夜9時までたっぷり笑わせてもらえます。だからお得感めちゃくちゃある定席だと言えるでしょう。舞台上には欄間(らんま)、下手側面には掛け軸が飾られていて、客席の一部は畳敷き(中央は椅子席。その左右が一段高くなっての畳)という風情のある佇まいにも驚きました。
(下の画像は芸人さんによるハワイアン演奏。撮影許可が出たので撮影しました)
◇鈴本演芸場
夜の部「さん喬・権太楼特選集」を鑑賞。こちらは大人気の為前売り券が完売していて、仕方がないので午前11時頃から約2時間当日券を求めて行列に並びました。権太楼師匠が枝雀師匠の「幽霊の辻」を熱演され、懐かしさがこみ上げてきました。
◇池袋演芸場
染工場を見学した後に立ち寄ってみました。時間がなく鑑賞できず(涙)。仕方がないので正面玄関のみ撮影してきました。
◇国立演芸場
笑点でおなじみ桂歌丸師匠がトリでご出演。演目は「お累の自害」。ストーリーは正直言ってよくわからなかったけど、師匠の年齢を感じさせない若々しい芸に触れとても感動した。
(お隣が最高裁判所だけに、落語や演芸の内容も最高でした!!)
2012年09月09日(日曜)
夏休みに両国の江戸東京博物館に行った際「常設展」のほうで歌舞伎に関する展示がありました。「これは勉強になるな!」と判断し、解説文をすべて書き留めてきました。以下の文章はその写しとなります。よろしければご覧ください。
◇市川團十郎と荒事
江戸独自の歌舞伎様式<荒事>は、初代市川團十郎(だんじゅうろう)によって創始されたといわれる。「暫(しばらく)」「矢の根」などの演目に代表されるように、力強い立回り、紅や藍、代赭(たいしゃ)を用いた<隈取>という化粧法などが特徴である。荒事の主人公は超人的な力を発揮して悪人を懲らしめ、江戸の人々に熱狂的に受け入れられた。「助六」は二代目團十郎の初演で、荒々しさに艶やかで柔らかな味が加わった新しい荒事として、江戸歌舞伎を代表とする演目となった。こうして江戸前期に確立された荒事を継承し、洗練を加えたのは代々の市川團十郎である。とくに七代目市川團十郎は先祖の当たり役となった荒事の中から十八種を選び、「歌舞伎十八番」と名付けて市川家の<家の芸>とした。今日もしばしば演じられる「勧進帳(かんじんちょう)」は七代目團十郎の創作である。
※ 代赭(たいしゃ)とは茶墨のこと。
◇市川團十郎と荒事
江戸独自の歌舞伎様式<荒事>は、初代市川團十郎(だんじゅうろう)によって創始されたといわれる。「暫(しばらく)」「矢の根」などの演目に代表されるように、力強い立回り、紅や藍、代赭(たいしゃ)を用いた<隈取>という化粧法などが特徴である。荒事の主人公は超人的な力を発揮して悪人を懲らしめ、江戸の人々に熱狂的に受け入れられた。「助六」は二代目團十郎の初演で、荒々しさに艶やかで柔らかな味が加わった新しい荒事として、江戸歌舞伎を代表とする演目となった。こうして江戸前期に確立された荒事を継承し、洗練を加えたのは代々の市川團十郎である。とくに七代目市川團十郎は先祖の当たり役となった荒事の中から十八種を選び、「歌舞伎十八番」と名付けて市川家の<家の芸>とした。今日もしばしば演じられる「勧進帳(かんじんちょう)」は七代目團十郎の創作である。
※ 代赭(たいしゃ)とは茶墨のこと。
2012年09月08日(土曜)
すでにtwitterやfacebookでは発表している事柄ですが、定休日にお客様数人と京都の貴船に行ってお昼ご飯(川床料理)を食べてきました。お店は昨年と同じ栃喜久(とちぎく)さん。川床専門誌の表紙を飾ったりするお店です。お料理も美味しく、アルコールも入ったので賑やかに楽しく過ごすことができました。(大満足!!)経験回数2回の僕が言うのもアレですが(アレってなんですか???とツッコまないでください!)、ここで僕が貴船に遊びにいって気付いた点を少し綴ってみます。(1)お席の希望があれば予約時に申し出たほうがいいでしょう。(2)貴船まで車という方。川床料理を提供するお店付近は細めの道が川沿いに一本あるだけ。あまり大きな車で行くと対向車とすれ違う際難儀しますよ。(3)貴船まで電車という方。本数は都会より少なくお店と駅はそれなりに離れています。車で送ってもらうとしても、行きの段階で電車の時刻表を確保しておくのが無難です。(4)当日晴れることを(あるいは曇り空を)願いましょう。天井はよしずを並べてるだけなので小雨でも下に降り注ぎます。雨量によっては川が増水し、ひどければ畳の下の土台も撤去となります。雨天の場合貴船まで来ているのに室内で食べるのです(涙)。そうならないよう一生懸命願いましょう。(最後は神頼み!!)貴船周辺はやっぱり山。街中より天気が不安定で雨天が多いようです。以上が僕が気付いた点です。よかったら心に留めておいてください。(突然だったので全てのお客様にお声掛け出来ませんでした。申し訳ありませんでした!)
2012年09月05日(水曜)
8月22日(水曜)に紋について綴りましたが、今日はその続きです。よろしければご覧ください。
◇どうして、日本全国に家紋があるの?
「家紋」は平安京の貴族から始まりました。これを聞いて、「あれっ?」と思われた方も多いのではないでしょうか。そもそも「家紋」と言えば武家の専売特許のようなもの。「どうして貴族なの?」と思われても不思議ではありません。平安中期に武家は存在しません。武家が出現するのはもう少し後で、400年ほど続いた貴族の時代もそろそろ終わりに近付いてからです。もちろん、この平安中期には後に武家となる農民層も大勢いました。彼らも冬場は貴族の屋敷の警備にあたりながら思っていたに違いありません。「オラもあんなの持ちてぇ〜!」・・・と。平安貴族に端を発した「家紋」を全国に知らしめたのが、世に言う「源平合戦」です。源氏と平氏の二大勢力が激突した平安末期の戦場で使う「旗印」に自身の「家紋」を翻し、各地でその武勲を競いました。合戦に勝利した源頼朝は鎌倉に幕府を開きます。本格的な「武家社会」の到来です。頼朝は、幕府と主従関係を結んだ特定の武士(=御家人)たちに「名字」と「家紋」を届け出るよう義務付けました。すると、御家人以外の武士たちの間でも「家紋」の使用を模倣する者が出始めます。こうして「家紋」は、武家勢力の拡大と戦火の広がりと共に全国に浸透していったのです。ちなみに、幕府や御家人たちを「武家」と呼ぶことが定着し始めると、それに対比して、朝廷に仕える文官を総称して「公家」と呼ぶようになったようです。この「家紋」、戦火の中で思わぬ効果を生み出します。現在のようなハイテク情報機器のない時代。合戦では、敵味方を見分ける「目印」として非常に役立ちました。長く続いた戦乱の世にシンプルな図柄の「家紋」が多いのはそのためです。(おしまい)
◇どうして、日本全国に家紋があるの?
「家紋」は平安京の貴族から始まりました。これを聞いて、「あれっ?」と思われた方も多いのではないでしょうか。そもそも「家紋」と言えば武家の専売特許のようなもの。「どうして貴族なの?」と思われても不思議ではありません。平安中期に武家は存在しません。武家が出現するのはもう少し後で、400年ほど続いた貴族の時代もそろそろ終わりに近付いてからです。もちろん、この平安中期には後に武家となる農民層も大勢いました。彼らも冬場は貴族の屋敷の警備にあたりながら思っていたに違いありません。「オラもあんなの持ちてぇ〜!」・・・と。平安貴族に端を発した「家紋」を全国に知らしめたのが、世に言う「源平合戦」です。源氏と平氏の二大勢力が激突した平安末期の戦場で使う「旗印」に自身の「家紋」を翻し、各地でその武勲を競いました。合戦に勝利した源頼朝は鎌倉に幕府を開きます。本格的な「武家社会」の到来です。頼朝は、幕府と主従関係を結んだ特定の武士(=御家人)たちに「名字」と「家紋」を届け出るよう義務付けました。すると、御家人以外の武士たちの間でも「家紋」の使用を模倣する者が出始めます。こうして「家紋」は、武家勢力の拡大と戦火の広がりと共に全国に浸透していったのです。ちなみに、幕府や御家人たちを「武家」と呼ぶことが定着し始めると、それに対比して、朝廷に仕える文官を総称して「公家」と呼ぶようになったようです。この「家紋」、戦火の中で思わぬ効果を生み出します。現在のようなハイテク情報機器のない時代。合戦では、敵味方を見分ける「目印」として非常に役立ちました。長く続いた戦乱の世にシンプルな図柄の「家紋」が多いのはそのためです。(おしまい)
2012年08月25日(土曜)
※ 鶴二師匠からいただいた情報によると、独演会のお席は完売となりました。これからは補助椅子(補助席)や立ち見での鑑賞となるようです。
若江岩田わもん寄席でお世話になっている笑福亭鶴二師匠が10月13日(土曜)に天満天神繁昌亭(大阪市)で独演会をされます。当然僕は伺います。おもしろいので、僕と、若江岩田わもん寄席の代表世話人・辻さん等鶴二師匠の(濃厚)ファンのみなさんと一緒に鑑賞してみませんか!?なんでしたらチケットの手配も承ります(鶴二師匠に直接たのみます!)。お気軽に、お申し出くださいませ。(詳細は、目を凝らして下の画像をご覧ください。)
メール:info@wamon-nakamura.com
※ 件名に「笑福亭鶴二独演会」等とご明記ください。
※ (私どもをご利用いただいた場合) チケット代は基本的に前払いとなります。
※ (私どもをご利用いただいた場合) チケットお申し込み後のキャンセルは出来ません。
※ チケットは私どもだけでなく、チケットぴあ、繁昌亭(11時〜20時)で販売しております。
若江岩田わもん寄席でお世話になっている笑福亭鶴二師匠が10月13日(土曜)に天満天神繁昌亭(大阪市)で独演会をされます。当然僕は伺います。おもしろいので、僕と、若江岩田わもん寄席の代表世話人・辻さん等鶴二師匠の(濃厚)ファンのみなさんと一緒に鑑賞してみませんか!?なんでしたらチケットの手配も承ります(鶴二師匠に直接たのみます!)。お気軽に、お申し出くださいませ。(詳細は、目を凝らして下の画像をご覧ください。)
メール:info@wamon-nakamura.com
※ 件名に「笑福亭鶴二独演会」等とご明記ください。
※ (私どもをご利用いただいた場合) チケット代は基本的に前払いとなります。
※ (私どもをご利用いただいた場合) チケットお申し込み後のキャンセルは出来ません。
※ チケットは私どもだけでなく、チケットぴあ、繁昌亭(11時〜20時)で販売しております。
2012年08月23日(木曜)
店内で育てている観葉植物・サンセベリアが花を咲かせました。なかなか立派な花だったので撮影してみました。いかがでしょう!?(どや顔)
※ 夜、二酸化炭素を吸収して酸素を放出しています。水やりは乾燥ぎみがいいようです。サンセベリアは熱帯アフリカなどの乾燥地帯に生えるナギイカダ科(リュウゼツラン科)の多肉植物。